
1.漢方医学の歴史
私が専門とする漢方医学は、世界中に存在する伝統医学の中の一つであり、もともと古代中国で生まれたものです。
奈良時代に鑑真和尚が仏教と一緒に、中国の伝統医学を伝えたとされています。
正倉院には、その時代の漢方薬が今も保管されています。
中国から伝えられた伝統医学は、日本で独自の発展をとげました。
特に、江戸時代に大きく発展し、現在に至っています。
漢方医学という呼び方は、江戸時代にオランダ医学が入ってきた際に付けられたものです。
オランダから伝来した近代医学を蘭方医学と呼んだのに対して、中国から伝来した伝統医学を漢方医学と呼ぶようになったのです。
江戸時代まで、日本の医療は漢方医学が中心でした。
医者のほとんどは漢方医であり、内科系の病気だけでなく、外科系の病気も漢方薬で治療していたのです。
世界で初めて乳癌手術に成功した華岡青州 (1760~1835)は、麻酔に通仙散という漢方薬を用いていました。
しかし、明治時代になって漢方医学の歴史が大きく変わりました。
2.西洋医学の台頭
明治政府が富国強兵の政策にもとづいて、西洋文明を積極的に取り入れ始めたためです。
具体的には、日本の医療を近代化するために、ドイツ医学を正式な医学として採用しました。
新しい医師免許制度においては、ドイツ医学を習得した者だけが医師の資格を与えられ、漢方医学だけでは医師としての要件を満たさなくなってしまったのです。
ドイツ医学は、コッホやパスツールを代表とする細菌学者によって大きく発展しました。
それまで治せなかった感染症の本体を解明し、治療手段と予防手段を開発する道を開いたのです。
江戸時代までは、日本人の多くがコレラやチフス、結核、梅毒などの感染症で命を失っていました。
しかし、明治時代に西洋医学を導入することで、感染症による死亡率は劇的に改善したのです。
日本の細菌学の父として知られる北里柴三郎(1853〜1931)は、ペスト菌を発見し、破傷風の治療法を開発することで医学の近代化に大きく貢献しました。
その後も西洋医学は発展を続け、感染症以外の病気に対しても効果的な治療法を数多く生み出してきました。
そして、20世紀の終わりには世界中の国々において、西洋医学が医療の中心を担うようになったのです。
3.西洋医学と漢方医学の未来
西洋医学は近代科学の一分野として、科学的な手法を重んじています。
科学技術が進歩すれば、医学の問題はすべて解決できると信じているのです。
そして残念なことに、漢方医学のような伝統医学は、非科学的であり、怪しいと思われるような風潮を作りあげてしまいました。
私が医学部を卒業したのは1984年ですが、卒業と同時に漢方医学の道に進んだ私のことを同級生の多くは変わり者と思ったようです。
しかし私は、これからの日本は漢方医学が必要とされる時代になると信じていました。
私の目には、現代西洋医学の限界がハッキリと見えていたからです。
その限界とは何なのか?
その限界を乗り越えるためには何が必要なのか?
西洋医学と漢方医学の関係は今後どうなっていくのか?
そのことについてお伝えしている講習会の音声をウエブ講義のページにアップしましたので、ぜひお聴きください。